色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 #diary #村上春樹 #色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上春樹

物語のあちらこちらに散りばめられた、美しさ
その美しさに惹きつけられて、年始より風邪症状が続いた僕が眠ること以外にできたことは、その美しい世界に没頭することだった
そしてその美しい世界は読み終える最後まで美しい世界のまま存在し続けてくれた。

音楽の美しさ
音が聞こえてくるような描写の美しさ
女性の美しさ
友情の美しさ
性行為の美しさ
フィンランドの美しさ
愛情の美しさ
質感の美しさ
物語の展開の美しさ
クライマックスの美しさ

不可逆的に美しさという概念にたどり着けなかったのがシロの被った事件、そして、死。それが特にやりきれなくなんと表現して良いのかわからない。
5つの個による絶妙なバランス。そのバランスを保ち続けていては恐らく本当に5つの個とも「色彩を持たない」人生を送っていたことだろう。
灰田が去っていったこともぽっかりと空いた穴のような存在としてこの物語の後半の背景の一部を覆ってしまう。でもきっとそういうことはよくあることなのかもしれない、と自分自身の過去と照らし合わせてみる。
胡散臭いことはあるさ。それが生きるための術なのだし。
でもそんな胡散臭いことの裏にも思いやりが垣間見える。
それが僕にとって好きか嫌いかということはこの際気にしないことにする。

なぜそうなってしまったかに対する疑問に対する答えは想像することしかできない。
確定的な事実を追い求めてみてもそれは叶わない。

どの場面もとても印象的だけれど、巡礼が展開するにつれ、そして、
最後が近づいてくるにつれて、それを引き伸ばすかのような鮮明で繊細で細部に渡った、そしてありとあらゆる過去の記憶と経験を凝縮したかのような描写が本当に圧巻であった。
読了後、しばらくその余韻に浸り続けることができた。

「色彩を持たない」ことがどんなに難しいことなのか(どんなに素晴らしいことなのか)、ということに僕は容易に考えを巡らせることができる。

「巡礼の年」美しいピアノの音色を求めてみよう。
きっと二人でその音を聴き続けていることを想像して。

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