◆極端な写真は掲載していませんが閲覧やや注意◆戦争証跡博物館(ホーチミン)★カンボジア・ベトナムに行ってきました(15)5日目その1 #戦争証跡博物館 #ホーチミン #HoChiMin #ベトナム #Vietnam

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この記事は公開から9年、最終更新日からも9年経過しています。内容が古くなっている可能性があります。

戦争証跡博物館

☆旅行記15本目。
◯重い気分になります。閲覧注意。

◯実質的な最終日。この日は夜の集合まで終日フリー。
◯昨日までとは変わり、ホーチミンの中心にある戦争証跡博物館へ(左記リンクは公式サイト、wikipediaリンクも掲載しておきます)。
そもそも、今回の旅行を思い立ったのは、ここを見てみたいという動機からだった。
◯撮影自由であったが、リアルで悲惨な写真も多く、撮影するにはしてきたのだが、ここでの紹介は控えたものも数多くあります。

◯出発!この日は歩いて行くという無謀な事はせずに、シャトルバスを利用。

◯シャトルバスを降りて、博物館を探しながら歩いていると(おそらくiPad miniでナビしながら歩く様子はとても無防備なんだろう。)、バイクにのったおじさん数人が「乗って行かない?ぼったくらないよ?どこ行くの?戦争博物館?遠いよ!」なんという感じで声をかけてくる。無視を決め込んだものの、執拗に話してくる方もいらっしゃる。中でもある1人の方とはその日、場所を変えて数回遭遇することになる。偶然なのか?それともこわがるべきなのか?

◯戦争証跡博物館に着いた。外は戦車とか飛行機とかが展示している。

◯3階建になっていて、僕は下の階から順番に見ていった。
◯反戦運動(共産党コーナー)。リアルに戦争中は、反戦を唱えるしかないじゃないか!即刻停戦を!でも、なぜやめられないのだろうか?

◯武器、手投げ弾、爆弾、地雷。三階だったか鉄砲やピストルも(写真がいまいちだった)。

◯1969.2.25の夜、ここに隠れていたが米兵に見つかり、10/8歳の子どもたちは刺殺され、6歳の子どもは……
2009.2.4に遺族により寄付されたものとのこと。
戦争証跡博物館〜避難も虚しく殺戮された

◯これも戦争の悲劇。
戦争証跡博物館〜戦闘機

◯戦争の被害。戦後40年がたっていてもまだまだ戦後は終わってない気がしました。
◯300万人が殺された。村が戦場となり(地上戦)、民衆、農民が犠牲になった。大量虐殺や強姦。。。
◯枯葉剤による後遺症、不発弾、精神・身体的障がい、孤児、ライダイハン。。。
◯2020年を目標に農業国から工業国への転換を図っている。

◯戦場カメラマンの紹介。ロバート・キャパの名前も。日本からも一ノ瀬泰造、石川文洋、澤田教一らの名前が。澤田教一『安全への逃避』の写真もありました。

◯ちょうどこのブログを書いている時に、twitterでNHKニュース「報道写真家・石川文洋氏 ベトナム戦争語る」という記事を見つける。
報道写真家・石川文洋氏 ベトナム戦争語る
ドキュメンタリー映画「石川文洋を旅する」は、現在(2014/8/14時点)東京や大阪で公開中とのこと。福岡は上映終了だった。。。
映画『石川文洋を旅する』公式サイト

◯ベトナム本土での戦火
戦争証跡博物館〜戦火

◯ここでの写真の掲載は控えたものとして、以下の様なものが。
・枯葉剤の影響を受けたまま生まれた(もしくは死産となってしまった)胎児の写真。
・地雷の影響のため足や手のない人たちの写真。
・やけどのため皮膚が。。。
・殺人や虐待の様子。
・逃げ惑う人々。
・木に逆さ吊りされた人。
・ベトくん、ドクくんの写真。

◯かなり、おなかいっぱい。一通り観たあとは、その場を早く立ち去りたくなって、とにもかくにも市場に向かうことにした。
◯旅行も終わりを迎えようとしています。

★当ブログ投稿写真を含む写真集
20140716_[旅行記]カンボジア・ベトナム5日目(1)〜戦争証跡博物館(ホーチミン)
※写真は NIKON COOLPIX S9700 で撮影 → eyefiカードでiPad mini転送 → iPhotoでiMacに取り込み → Google picasaにアップロード

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