1985年に行ったライブ #diary #ライブや展示や映画by_capture

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この記事は公開から10年、最終更新日からも1年経過しています。内容が古くなっている可能性があります。

●1985/10/10 BITTER&SWEET 中森明菜 多分小倉厚生年金会館 ※8月の代替公演

●1985/8/13 BITTER&SWEET 中森明菜 多分小倉厚生年金会館 ※本人体調不良により途中で中止

●1985/6/8 米ツアー凱旋 渡辺香津美MOBO3 福岡か小倉のどこか
渡辺香津美、グレッグ・リー、村上ポンタ秀一          

●1985/2/10 大演奏会 北九州商工会議所
中村誠一、松木恒秀、高水健司、村上ポンタ秀一

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2022/10/19加筆

1985年。中森明菜の振替公演、そして、やはり渡辺香津美といいたいところだが北九州商工会議所(いや商工貿易会館だった気がする)でのジャズ・村上ポンタ秀一

この頃はまだまだコンサート行く回数少なくてこの年も4本(うち一度は途中で中止という)

前年がキョンキョンだったけどこの年は中森明菜。小倉厚生年金会館。ここではたくさんのコンサートを観に行ったなあ。中森明菜はこの頃は全盛期で、時期的には「D404ME」発売直後のようだけどツアーの名称はその少し前発売開始の「BITTER AND SWEET」だったような記憶がある。
全くどうでも良いけど、初めて付き合った彼女と最初のデートが近藤真彦、中森明菜主演の「愛・旅立ち」だったということをこれを書きながら思い出したけど、そのあとその彼女とは2〜3回しか会えなくて、あっという間に「あなたとは合わない」って言われて振られた。初めてですごく緊張しているのに加えにわかにオシャレそうな洋服を買って着こなしとかそんなの超適当な格好をして会ったんだろうなあ笑
で、夏休み中(8月)にあったコンサートなんだけど、なんとこれが、途中で中森明菜の声が出なくなって(確かに高い音がつらそうだった)、中止・延期になりまして、振替公演が10月になったというこれまた貴重な経験。でもそれって1回のコンサートチケットで2回も中森明菜を目撃できるということでむしろ嬉しかったのです。大学生ですからチケット代も安くないですし。
で、他には、中森明菜はかわいかった、くらいしか記憶にないです。

他には渡辺香津美のライブ、これは小倉の小さなライブハウスだった以外にあまり記憶がないんだけど、それよりも、友人に誘われて行った、商工貿易会館であったセッションライブがとても良かった。
中村誠一、松木恒秀、高水健司、村上ポンタ秀一というメンバーで、このコンサートでなんだか僕は大人になったなって、感じたものです。
このときちょうど二十歳。
で、やっぱり目立ってたのはポンタさん。
他の3人が渋い渋い大人ないぶし銀の演奏だったけれど、ポンタさんのドラムスだけ炸裂しててうぇ〜とかうわーとか声援を飛ばしたのです。
会場はすごく小さな場所で、ポンタさん気さくでまわりのお客さんに話しかけながらの演奏でした。
このとき誘ってくれた彼とはその後、飲みにもよく出かけたし(今でも何年かに一度行く小倉のバーを紹介してくれたし、そういえばここでは書けないようなことで迷惑もかけた。ああ、僕も若かった。もう一度謝る)、同郷(彼が岡山で僕は倉敷)だったので一緒に車で帰省して(その時僕は積雪のなか運転を誤って事故って途中で帰れなくて新見あたりのホテルのダブルベッドで二人で泊まったっけ。こちらもなんか彼の厚意に助けられたというかこれはお返ししてないな。。。)、10数年前に東京でライブした時は見にきてくれたし。
そんなことを思い出した、これが37年前。
次の1986年くらいから友達と誘い合って、コンサートのチケットをとるのに交代で並んで(その時のエピソードはまた次回か次々回くらいかな)、そのおかげで、コンサートの回数も増えます。続く。

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